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旭川地方裁判所 昭和51年(ワ)205号 判決 1979年2月27日

原告 五十嵐光夫

<ほか二名>

右原告ら三名訴訟代理人弁護士 宮岸友吉

被告 林

右訴訟代理人弁護士 黒木俊郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの申立

1  被告は、原告五十嵐万人に対し、金一、八〇六万六、七六一円並びに内金一、六三六万六、七六一円に対する昭和四七年九月八日以降及び内金一七〇万円に対する本判決確定の日の翌日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告五十嵐光夫及び同五十嵐千恵子に対し、各金一一〇万円並びに各内金一〇〇万円に対する昭和四七年九月八日以降及び各内金一〇万円に対する本判決確定の日の翌日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告の申立

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告五十嵐千恵子(以下「原告千恵子」という。)は、昭和四七年九月六日、被告が肩書地において経営する産婦人科医院(以下「被告医院」という。)に、出産の介助を受けるため入院し、同月八日、原告五十嵐万人(以下「原告万人」という。)を出産したが、原告万人は、分娩の際、右上腕神経叢麻ひの傷害(以下「本件傷害」という。)を受け、その結果、右上肢の機能を全く失い、右症状は、全く治ゆの見込みがない。

2  原告五十嵐光夫(以下「原告光夫」という。)及び同千恵子は、被告との間で、昭和四七年九月六日、被告が、原告千恵子を被告医院に入院させ、同原告の出産を介助し、新生児が出生した場合、新生児に起こりがちな病的症状を医学的に解明し、その症状に応じ治療行為を行うことを内容とする契約(準委任契約)を締結したところ、被告の出産介助行為及び治療行為が不完全であったため、原告万人に本件傷害を生ぜしめた。

3  原告万人に本件傷害が生じたことについて、被告には、次のような過失がある。

(一) 被告は、原告千恵子を出産前の昭和四七年二月三日から診察しており、その結果、同原告が体重九〇キログラムの肥満婦人であり、胎児も相当大きいことが判明し、難産になることが十分に予測できたのであるから、あらかじめ帝王切開による分娩を図るなど適当な処置をとるべきであったにもかかわらず、通常(経膣)分娩の方法によった。

(二) 被告は、その出産介助に当たり、たとえ、母体の微弱陣痛のため、自然で正常な分娩を期待できない場合であっても、医師としては、その新生児の身体に分娩麻ひが生じるのを避止するため、分娩の際には、新生児の肩と頭部が過度に伸展しないようにすべき注意義務があり、特に、頭位の場合に、肩部娩出のため、頭部の強度の牽引をすること、骨盤位の場合に、躯幹を側方に牽引して頭位分娩をすること、又は、腋窩に指をかけて肩部の娩出を図ることなどは、絶対にしてはならないことであるにもかかわらず、被告は、右のいずれかの方法で原告万人の娩出をはかり、その際、同原告の頸部を過度に伸展した。

(三) 本件傷害については、患部である上肢をシーネ(金属製の副子)で固定するいわゆるドイツ式敬礼固定法を、出産後、日時を置かずに行えば、七ないし一〇日間で治ゆすることが判明していたにもかかわらず、被告は、右治療法を行わなかった。

4  原告らが被った損害は、次のとおりである。

(一) 原告万人の損害

(1) 後遺症逸失利益 金一、一三二万九、一一〇円

原告万人は、将来一八歳から六七歳まで四九年間就労し、この間一か月当たり金六万二、五〇〇円の収入を得ることができたはずであるところ、本件傷害のため、労働能力を九二パーセント喪失したものであるから、同原告の逸失利益は、これを一時払額に換算すると、右一か月当たりの収入金六万二、五〇〇円に右就労可能期間の月数及び〇・九二を乗じた額から、新ホフマン式計算法によって法定利率による中間利息を控除した金一、一三二万九、一一〇円となる。

(2) 慰謝料 金五〇〇万円

前記後遺症を受けたことによる原告万人の現在及び将来の精神的、身体的苦痛を償うべき慰謝料としては、金五〇〇万円が相当である。

(二) 原告光夫及び同千恵子の損害

(1) 治療費 金三万七、六五一円

原告光夫及び同千恵子は、原告万人に、柳沢外科等において、本件傷害の治療を受けさせ、その治療費として金三万七、六五一円を支払った。

(2) 慰謝料 各金一〇〇万円

原告光夫及び同千恵子は、長男である原告万人が出生の時から不治の大患にかかったことにより、甚しい精神的苦痛を受けた。その慰謝料としては各金一〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告らは、弁護士宮岸友吉に本件訴訟を委任し、昭和五一年六月二二日、着手金として金三〇万円を支払い、原告万人は、同弁護士に、成功報酬として金一六〇万円を支払う旨約束した。

5  よって、被告に対し、原告万人は、不法行為に基づく損害賠償として、右損害金合計金一、八〇六万六、七六一円並びにこれから弁護士費用を除いた金一、六三六万六、七六一円に対する不法行為の日である昭和四七年九月八日以降及び弁護士費用金一七〇万円に対する本判決確定の日の翌日以降各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告光夫及び同千恵子は、不法行為及び債務不履行に基づく損害賠償として、右損害金合計各金一一〇万円並びにこれから弁護士費用を除いた各金一〇〇万円に対する不法行為の日である昭和四七年九月八日以降及び弁護士費用各金一〇万円に対する本判決確定の日の翌日以降各支払済みに至るまで同じく年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の項の事実のうち、原告千恵子が、昭和四七年九月六日、被告医院に、出産の介助を受けるため入院し、同月八日、同医院で、原告万人を出産したことは認め、その余の事実は知らない。

2  同2の項の事実のうち、原告千恵子と被告との間で、出産介助契約が締結されたことは認め、その余の事実は否認する。原告万人出生後は、原告光夫及び同千恵子と被告との間には、原告万人の哺育契約が締結されたと解すべきである。

3(一)  同3の(一)の項のうち、原告千恵子が体重九〇キログラムの肥満婦人であったことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同3の(二)の項は否認する。

被告は、原告ら主張のような粗暴な出産介助行為は全く行っていない。本件出産は、いわゆる難産の部類に入るほど重いものではなかったから、原告ら主張のような強力な分娩介助行為は全く不要であった。

(三) 同3の(三)の項の事実のうち、被告が原告ら主張の治療法を実施しなかったことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 原告万人に本件傷害が生じたことについて、被告には過失がない。すなわち、

(1) 原告万人に生じた本件傷害は、被告の出産介助行為とは全く関係がなく、先天的なものである。

(2) 仮に、本件傷害が先天的なものでなく、出産の過程で生じたとしても、本件傷害は、原告千恵子が体重九〇キログラムの肥満体であったこと及び原告万人も体重四、七〇〇グラム、身長五三センチメートル、胸囲三六センチメートル、頭囲四一センチメートルの巨大児であったこと(通常男児の標準は、体重三、一〇〇グラム、身長五〇センチメートル、胸囲三三センチメートル、頭囲三三・五センチメートルであるとされている。)を考えあわせると、原告万人が産道の狭い部分を通過する際に、原告千恵子の肥満により強い圧迫を受けたために生じたと推測され、被告の出産介助行為の結果、生じたものではない。

(3) 被告は、原告万人の沐浴終了後、直ちに同原告の外表検査を行い、右上肢に麻ひが存在することを発見したが、骨折の徴候はなく、一時的な麻ひとも考えられたので、分娩当日は、経過観察し、翌九日、再び診察したところ、まだ右上肢に麻ひが存在したので、専門医の診断が必要であると判断し、近所の柳沢外科医院において原告万人を受診させたところ、同外科の診断は、「骨折はないが、右上膊部に麻ひがある。しかし、出生後間もないので、今後の経過を見たうえで、麻ひに対する専門的加療を受けるように。」ということであったので、その旨原告千恵子に伝達した。以上の次第で、被告は、本件傷害の診療の依頼を受けた事実もないし、原告万人の哺育担当者としてすべき注意義務はすべて果たしたのであるから、原告万人の出生後の処置についても、被告に過失はない。

4  同4の項の事実はいずれも知らない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1の項の主張について判断するに、原告千恵子が、昭和四七年九月六日、被告が肩書地において経営する産婦人科医院(被告医院)に、出産の介助を受けるため入院し、同月八日、原告万人を出産したことは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告万人は、出生した直後から右上腕神経叢麻ひの傷害(本件傷害)が見られ、今日までその症状が残っていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、まず、原告万人に本件傷害が発生したことについて、被告に過失があったか否かについて検討する。

1  原告らは、被告は、あらかじめ帝王切開による分娩を図るなど適当な処置をとるべきであったにもかかわらず、通常(経膣)分娩の方法によった点に過失がある旨主張する。

よって、判断するに、《証拠省略》によれば、(一)原告千恵子は、昭和三九年七月八日、経膣分娩により、長女寿美恵を出産していること、(二)原告千恵子は、昭和四七年二月三日、黄色帯下及び外陰部の掻痒感のため、被告医院に行き、被告から、膣炎、外陰部掻痒症兼妊娠三か月(分娩予定日同年九月一二日)と診断され、以後同医院に通院し、被告の診察を受けていたこと、(三)被告は、原告千恵子が体重九〇キログラムの肥満体で胎児部分の触知がやや困難であったうえ、同原告の腹部が大きく、双胎の可能性があったことから、同年八月二一日、胎児のX線撮影を行って、双胎ではないこと及び胎児は頭位第二胎向(左向き)で正常であることを確認したこと(原告千恵子が体重九〇キログラムの肥満体であったことは、当事者間に争いがない。)、(四)その後分娩に至るまで、胎児が骨盤位(さか子)になるなどの異常が認められなかったことはもとより、児頭と骨盤との不適合の徴候も認められなかったこと、(五)分娩の経過については、陣痛が微弱であったため、第一期(陣痛開始から子宮口全開大まで)の時間が普通より長かったものの、第二期(子宮口全開大から胎児娩出まで)の時間は約一時間一〇分で異常はなく、いわゆる難産の部類には入らないこと、(六)原告万人は、出生時体重四、七〇〇グラム、身長五三センチメートル、頭囲四一センチメートル、胸囲三六センチメートルで、いわゆる巨大児(通常男児の標準は、体重三、一〇〇グラム、身長五〇センチメートル、頭囲三三・五センチメートル、胸囲三三センチメートル)であったこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、《証拠省略》によれば、専門家の間において、帝王切開は、麻酔死の率が他の手術に比して高く、出血が多くなったり、輸血により肝炎となる危険性があり、予後も、ゆ着を生じたり、月経困難症等種々の病症が起きやすくなるため、前置胎盤や胎盤早期剥離等の異常な症状が認められる場合か、妊婦が高年で初出産であり、かつ、胎児が骨盤位、巨大児等の理由から難産が予測される場合に初めて行うべきものであり、既に経膣分娩の経験を有している妊婦の場合には、産道も開大しやすく、児の産道通過が容易であることが多いのであるから、胎児が巨大児であることが予測されても、まず経膣分娩を試行し、途中経過において、分娩時間が延長するなどの異常分娩の傾向を認める段階において、初めて帝王切開を実施するのが相当であると考えられており、実際そのように行われていることが認められるところ、前記認定の事実に照らし、原告千恵子に帝王切開の適応症があったとは到底認められず、したがって、被告が同原告の出産を介助するに際し、経膣分娩の方法によったことについて、不適当であったとはいえず、ひいては、被告に過失があると認めることはできない。

2  次に、原告らは、被告は、原告千恵子の出産を介助するに際し、胎児の肩部娩出のため、頭部を強く牽引したか、躯幹を側方に牽引して頭位分娩を図ったか、又は、腋窩に指をかけて肩部の娩出を図ったかのいずれかの方法で原告万人の娩出を図ったため、同原告の頸部を過度に伸展した点に過失がある旨主張するが、被告が、本件出産介助の際、原告ら主張のような粗暴な方法を行ったと認めるに足りる証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、被告は、昭和四七年九月八日午前九時ころ、原告千恵子の外子宮口が全開大となったため、同原告を分娩室に入室させ、陣痛が多少弱かったので、アトニン(陣痛促進剤)〇・一単位を一回注射し、陣痛発来時(陣痛発作時)に、吸引カップ(中カップ)を原告万人の頭部に当て、一平方センチメートル当たり〇・八キログラムの陰圧で吸引娩出を行い、原告万人の額が原告千恵子の会陰部を過ぎたところで直ちに吸引カップを除去し、続いて肩甲部が恥骨弓下に現われてから、原告千恵子に腹圧を加えさせて、原告万人の頭を左右から把持して軽く下方に抑えたところ、前在肩が娩出され、更に原告万人の頭を挙上すると後在肩が娩出されて、原告万人の体全体が午前一〇時一〇分に娩出されたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、《証拠省略》によれば、吸引分娩の方法は、難産の場合でなくても、弊害が少なく、また、分娩時間を短縮して、妊婦及び新生児の負担を軽くするため、よく用いられる方法であり、被告が本件出産において吸引カップを児頭に吸着するために用いた一平方センチメートル当たり〇・六キログラムの陰圧は、特に不当かつ強力すぎるものではないことが認められるところ、前項及び前記認定の分娩の経緯に照らし、被告のとった吸引分娩の方法は、適切な処置であったと認めることができる。その他被告が、本件出産介助に当たって、原告万人の頸部を過度に伸展するような行為をしたと認めるに足りる証拠はない。

8 原告らは、本件傷害については、患部である上肢をシーネ(金属製の副子)で固定するいわゆるドイツ式敬礼固定法を、出産後、日時を置かずに行えば、七ないし一〇日間で治ゆすることが判明していたにもかかわらず、被告が右治療法を行わなかった点に過失がある旨主張する。

よって、判断するに、被告が原告ら主張の治療法を行わなかったことは、当事者間に争いがないが、《証拠省略》によれば、本件傷害については、いわゆるドイツ式敬礼固定法という治療法を行えば、短期間で治ゆするとする説がある反面、装具又は副子による固定は必要ないとする説もあり、また、ドイツ式敬礼固定法に効果があると認める立場においても、拘縮が起こり易いという副作用があるため長時間この方法をとることはかえって危険であると考えられていることが認められ、結局、右治療法を行うことが必ずしも医学上一般化していたものとは認められないから、右治療法を行わなかった一事をもって、直ちに被告が当然行うべき相当な治療行為をしなかったということはできない。のみならず、《証拠省略》によれば、被告は、原告万人出生直後、その外表検査を行った際、同原告の右上肢に麻ひがあることを発見したため、翌昭和四七年九月九日、同原告を柳沢外科医院に連れて行き、同医院で診察を受けさせたこと、その結果、被告は、柳沢医師から、「まだ、出生後間もないので今後の経過を見たうえで、麻ひに対する専門的加療を受けるように。」との指示を受けたため、間もなくその指示を原告光夫らに伝えたこと、更に、被告は、同年同月一六日、原告千恵子及び同万人母子が被告病院を退院するに際し、以後時々原告万人の様子を見せに来るように指示したこと、そして、その後も原告万人の症状が好転しなかったことから、被告は、同年一一月及び一二月の二度にわたり、原告千恵子に紹介状を渡して専門医による診察を勧めたこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》そして、《証拠省略》によれば、一般に、出産直後、新生児に本件傷害のような症状のあることが発見された場合の産婦人科医の採るべき措置としては、可及的速やかに専門的知識を有する整形外科医の診察を乞い、その指示に従うべきであると考えられていることが認められるところ、前記認定の被告の措置は、この一般的取扱いに合致するものであって、何ら非難されるところはない。他に、原告万人出生後に被告が採った処置につき、不相当な行為をし、又は、相当な行為をしなかったと認めるに足りる証拠はない。

4  右のとおりであって、原告万人に本件傷害が発生したことについて、被告に過失があったとは認められない。

三  右二の項の認定事実によれば、被告の出産介助行為及び治療行為が不完全であったと認め得ないこともまた明らかである。

四  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、その余の主張について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 萩尾保繁 廣永伸行)

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